ひめの メッセージ[投稿] [TOP]

No.48 ささやかな灯火  ひめのゆめ   2007年10月31日(水) 11:25   
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「心が暗闇で覆われている人々にとって

貴女がほんの一瞬つけるマッチの灯りが

周りの様子を浮かび上がらせ

彼らの心に一瞬の安堵をあたえる。

それがマッチの灯りではなく蝋燭の灯りならなおさらだ。

まずは マッチの灯りをともせる人に

すくなくとも 一日で一回でもよいから 自分の足元と
自分の側にいる人の足元をマッチの灯りで明るくする事ができるよう。

それが日本全国でおきると この暗くて重い地球が明るくなるのですよ。

それは貴女にもできることだし いいえ この地球に住まわせてもらっている者として貴女がやらなければならないことなのです。」

No.47 器(うつわ)  ひめのゆめ   2007年10月30日(火) 1:41   
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『大きな大きな器となることじゃな。

特別でっかい器となることじゃ。

そして来るものは全て受け入れてやることじゃな。

これからは いろんなものが来るぞ。

心に病を持つ者も

食うていけぬようになった者も

そのような者達を受け入れて

それでもびくともせんような 大きな器になることじゃ。

黙っているだけでよいぞ。

ただただ 受け止めてやれ。

さすれば いつの日か 彼らはすくっと立って

全うにこの生を歩きだしはじめるぞ。

途中で ああやこうやいうような 小さな器にはなるなよ。

説教は要らぬ。 主が毅然として 立っておれば

皆はいつかわかるじゃろうて。

人に執着せず 人に振り回されず

ただただ 名も無き大きな器じゃ

もはや人間ではないぞ 神業ぞ。』

No.46 神社詣でをする人々へ  ひめのゆめ   2007年10月29日(月) 12:31   
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『神社に詣でて御願いごとをするのも もう必要ないじゃろう。

何かを確認しに神社に行くのは良いが 御願いごとをする時節ではもうないぞ。

神社を祀ることになったのはなぜか? 考えてみよ。

たとえば北野天満宮はどうじゃ。 

菅原道真のなしたことを見ることによって 吾(われ)の生き方を省みるのはよいじゃろう。

道真が鏡となって わが身のあり方を見せてくれるじゃろうて。

しかしながら その時代の為政者によって葬られ

祟られることを恐れて 神社に祀られているその神社の主に

そんなわけも知らずに 

ただ吾身(わがみ)可愛さの願い事をするのはいかがなもんじゃ。


また たとえば海の安全を祈願する目的で 海の守護神に詣でた時でさえ 
漁師としての我が生き方が 天にたいして間違っていないかを

省みることが必要なのじゃ。


村の鎮守の神様の秋祭りも 村人が共に豊作を感謝して

自らの心を省みて また次に来る年への心構えを皆で確認することが

大切なのじゃよ。


それに神社に祀られる神と言えども 吾身(わがみ)が

どこかの次元で生きておった転生かも知れんぞ。

そのような次元落ちの途中の吾身を神と崇めてなんとする。

もっとも 今の時代 神は地に落ち薄汚れた紙となり

ぼろくず紙となって 彷徨っておる。

神社に詣でて 借り物の紙を拝むよりは

地に落ちた吾の本当の姿のぼろくず神(ka mi)を拾うて歩くことじゃな。

そして素(su)の神(ka mi)にまず もどることじゃぞ。』


No.45 昨日(10・26)の次元のシフト  ひめのゆめ   2007年10月27日(土) 12:45   
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「皆 昨日の次元のシフトは乗り切れたか?

今朝は青空が広がっているか?

まだ苦しい者は 手放せ! 今抱えている要らぬものを手放せ!

立ち上がれ! 今立ち上がらぬで どうするのだ!」

No.44 達磨  ひめのゆめ   2007年10月27日(土) 12:25   
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『幼稚園児にもわかるように言うとだな

まず 皆が何がしたいのか 言うてみることじゃな。

言うことによって 自己確認することができるじゃろう。

そしてその上で どこでそれをするのに行き詰まっているか

言うてみると 誰かが救いの手を差し伸べてくれて

それがその者をも 立たせるきっかけになるかもしれんぞ。

皆で黙っておるから 無い知恵さえも出てこぬ

それこそ手も足も出ぬ達磨じゃな。』


No.43 もういいだろう  ひめのゆめ   2007年10月27日(土) 9:24   
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『(学び舎の)仲間の為にメッセージを下ろすのも もうそろそろ(止めても)いいだろう。

彼らにとっても 時間が迫ってきている。

最後の最後に残るものは

真に底力のあるもの

真に粘りのあるもの

そして自分の魂に正直であるものだ。

誰が決めるでもない それぞれの道は本人が決めるのだ。

道というと なにか何処か遠くに続く道のようで

その道程には まだ方向転換や後から追いつく猶予があるような気もするかもしれんが

一瞬にして 行くべきところを分ける分岐点である。

もうそろそろいいだろう。 ご苦労じゃったな。

もう1ヶ月も猶予があったのだから。

後はそれぞれに任せて するべきことをせよ。』

No.42 鳥かごの中の鳥  ひめのゆめ   2007年10月26日(金) 22:52   
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鳥かごの中の鳥が一羽 大空に向かって飛び立とうとしている。

いまかいまかと羽をはためかせようとするが

未だ飛び立つことができない。

見れば かごの下に大きな蛇がいる。

これは大変と思ってよく見ると その蛇は鏡に映っている蛇だ。

本体は上にあるのかと思って上を探しても 本体の蛇は見当たらない。

どうやら鳥は 自分の作り出した幻の蛇を気にして 飛べないようだ。

No.41 木のように感じて  ひめのゆめ   2007年10月24日(水) 12:24   
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<例えば自分を木であると感じてみればどうでしょうか?

地球にしっかりと根を下ろす木

大地の様々な所から上がってきた水を吸い上げる木

風を感じて葉を揺らす木

その実をたわわに実らせる木

蟻や昆虫、鳥、小動物に一時の住み家を与える木

目の前で起きている事を じっと見つめる木

何年も何年もの間 この地球上で起きている事を

じっと見つめて自分の役割を果たしている木

どうですか? そのような木を自分の中に感じることができますか?

貴方が天の御心のままに動く時

植物達は どんなちいさな葉っぱであっても 

それが持つエネルギーの一部分を 貴方に分け与えるでしょう。

お腹がすいた貴方に 食べ物の代わりになるように

そして最後の最後に行き倒れになるようなことになったとしても

貴方の躯に柔らかい草の特上のベットを与え

穏やかに自然界にもどすこともできます。

人間は自分達の事だけを考えて生きてきました。

けれどもこの世界には植物界のものたちも存在し

そのものたちも 貴方の世界で共に役割を果たしていることに

気づいていません。

貴方が天の御意志と共に歩む時 そのものたちも
応援している事を思って元気を出してください。

疲れた時は山に入り そのものたちのエネルギーを貰ってください。

私は貴方をずっと見つめてきました。

貴方は決して一人ではないことをよくよく覚えていてください。>

No.40 立ち居地と役割  ひめのゆめ   2007年10月24日(水) 12:23   
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『中心に立つ者は 周りを取り囲む形で立つ者の辛さを考えてやらねばならんぞ。

逆もしかりじゃ。 互いにそれぞれの立ち位置にしっかりと立ってこそ

互いの役割を果たせるというものじゃ。』

No.39 車のスタートのように  ひめのゆめ   2007年10月24日(水) 12:22   
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『がってん独り立ちする時は 動き出す時に付加もかかるし

すこしはシンドイかもしれんよ。 まあ 車で言えば

ローギヤスタートのようなもんじゃな。 

滑り出せば旨く走るようになるから あせらず心配せずに

動くがよい。』
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